忘れていた

ほぼ何もなかった事

何もなくなり絶望の淵にいて

絶望はなにかやけくその怒りのようなものに変わり

そこのエネルギーが自分を歩かせた。

「ない」のが当たり前で

得なければどうにもならなくて

だから「ない」って事がそんなに辛くなくなってた

辛くなかったというと嘘になるけど

少なくとも「ない事」は自分にマイナスに作用しなかった。

だからスッキリ歩けた

今も決して多くはないし
安心できるほどじゃないが
「ある」

あるから「なくなる」事に対する不満や不安が発生している

つまり「執着心」

自分にとってマイナスに作用する余計な執着が増えている


あの時に「生き方の選択」をしたのは間違いない

でもそれは正確には生き方の選択をしたんじゃなくて

「死に方の選択」の一歩だった

死に方選びに執着心などいらぬ

どうやら次のステップにさしかかったんだなと思う

ここより先

いかに自分らしく死に場所へたどり着くべきか

得物に巻きつかれて依存してダサイことにならぬよう

次なる「断捨離」を見つめて歩くべし

人として命を繋ぐ生き方を選らばなかった自分

きっと何かの為に

「何か」ってなんだろう

願わくば力の限り全て燃やしつくして

全てはいつかゼロに。

俺の求めるべき死に方

ワソ道とは死ぬ事と見つけたり。